おはようございます。「うつ病」のことで色々調べていたら、たどりつきました。職場ストレスによるうつ状態からうつ病へとなり、結果として休職2か月で退職なりました。一時はそれで随分と調子よくなっていたのですが、母親に理解してもらえず、結果、薬の量は増え、体調不良が続いています。「誰でもそんな気持ちや体調はある」「ゴロゴロばっかりするな」そんなことでとてもつらいです。主治医に色々と話すると、「お母さんとの距離を少しおいてみてください」とのことで現在、婚約者と同棲中です。最近、自分が打ち込めるものといいますか…趣味で気分のいい時にしていたものが販売できるようなチャンスをいただけて、人とかかわることが怖くてしょうがない状態なのですが、趣味の好きなことを通して出会える方とは不思議と恐怖感を感じることもなく。。。少しずつでもできたらいいなと思っていました。そんな時に私の行動がきっかけで母とより溝が深くなってしまい、母に「子供なんて産まなければよかった」「子供の育て方を私がまちがったんだろう」「もし生まれ変わるなら子供はもういらない」と言われてしまいました。父が他界して6年、姉は母との折り合いが悪くコミュニケーションはまったくなし。弟は母の方が気をつかい、母が自分で感情のコントロールをしているようです。色々な状況がかさなり、父が急逝した時、母は肝臓疾患があり、弟は当時高校生だったため、私は家族を支えることを考えて必死でした。母の肝臓疾患は父の生前から患っていたものなので、病気が判明した時から母になり代わり、家事と仕事と両立していて、父の急逝後もその生活は続いていたのですが、母の肝臓疾患の治療もうまくいき、普通の生活を送ることができるようになった時、私は体調の異変が出始めました。職場で管理職を任された頃で、板挟みの状態が多く、摩擦が苦しかったです。家族との場合でも何かあれば私に相談やイライラを受け止めることが多く、板挟みや緩衝材のような役割でした。徐々にめまいが多くなり、食欲減退などの症状が出始め、当時は残業等も多かったことから単なる疲れだろうと思っていました。病院でも内科で血圧が低いために、立ち上がるとたちくらみやめまいが起こるということで「昇圧剤」の処方をうけました。まったく改善されず、朝は起き上がるのがつらくなり、疲れているのに眠れない。夜中に目がさめてから眠れない。仕事が気になって早朝出勤をする。そんな状態が続きました。平日は私は仕事メインの生活なので、コミュニケーションを取ったり、母の気分転換も兼ねて休日は母とでかけることもよくありました。当時は電車に乗ると気分が悪くなっていたのですが、母に気を使わせないように我慢し、人混みで目がまわったりもしていましたが、そこもカフェに入るなどし、かわしていました。ある時、職場で書類を作成していたのですが、1ページから6ページほどの書類をページ順に並べようとした時、「並べよう」という気持ちはあるのに、ページ順に並べきれず、パニックになってしまいました。こわくなり、以前からの内科の主治医に話しはじめて、色々答えるうちに涙がとまらなくなり、苦しくなりました。主治医が心療内科も担当していることもあり、心療内科へ移ることへなりました。うつ状態だったのですが、母の理解を得ることができず、休日に横たわっていると、「こもっていないで外で気分転換しないといけない。出掛けるよ」と言われて外にでることもよくありました。そういう生活を続けているうちにどんどん気持ちがふさぎ込みがちになり、ショッピングが好きだったのに服を見ても決められなくて結局買わない。髪型もとりあえずまとめる。オシャレをすることがおっくうになってきました。そして、体調が悪化し続けドクターストップで休職。1か月の休職でしたが、復帰の1週間前くらいになると急激に体調が悪くなり、1か月延長。結局、復帰前にまた体調が悪くなり、退職。しばらくして色々振り返ることができた時、「疲れた」のひとことでした。家族を支えようと必死で仕事も派遣社員だったので必要とされる存在であり続けないといけない。「なんで私がこんな目にあうんだ」という感情はなく、とにかく走り続けた9年間「疲れた」それだけでした。主治医とともに支えて、ある時にはストップをかけてくれていた婚約者といる時が本当に素でいられます。私が落ち込んで立ち止まった時には彼も立ち止まってくれ、近くで自分の時間をそっと過ごしてくれます。私が趣味のモノづくりに専念しだすと、彼は手伝ってくれたり、家事をしてくれたりします。ようやく、生きていることでの価値というか、良さを感じることが多くなったのですが、昨日、母に家にあるDVDレコーダーの操作のことで呼ばれ、2週間ぶりに会った時、「お母さんの気持ちはあんたが一番近くにいたのに 全然わかってなかった」「子供は産むもんじゃない」「夢で父親が出てきたけど、ひとりぼっちになるよって いう警告かほれみろって父親も思ってるんだろう」「私の育て方がよっぽど悪かった」「生まれ変わったら子供はいらない」と言われ…もう言葉がでませんでした。やっぱり私が存在していることがいけないのか考えることも思うこともつらくなり、今すぐここで命をたてばこんなことも考えず、思うこともなく、楽になるって思ってしまったんです。私が生まれてこなければ、母は苦しまずにすんだのかと思いました。でも、婚約者と住んでいる家が見えた時、自分の生きる価値を見いだすことができた彼とこれからもっと一緒に過ごしたい自分の作品をいろんなひとに見てもらいたい。そう思う感情も出てきて今、混乱しています。そして、今、一日たって思うのは私は彼が話を聞いて受け止めてくれる。母ははけ口がないし、隣にいるはずの父がいないからもっと苦しいのかもしれない。。。そうも思います。もう…何が何だかわかりません。昨日、帰宅してから頭痛と肩こり、倦怠感がひどく、頓服のソラナックスが手放せません。昨日はソラナックスもまったく効果なく、処方されていた鎮痛剤もなく、睡眠導入剤でなんとか眠ることができました。現在、ジェイゾロフト25ミリを4錠・リフレックスを1錠・頓服でソラナックス・レンドルミンを飲んでいて、エビリファイも処方されていたのですが、食欲が怖く飲めません。これ以上薬は増やせないと言われました。精神科への転院も視野に入っている状態です。先生の病院が近くにあったら行きたいです。でも、私は福岡なのでとても遠すぎていけません。もう、どうしたらいいのかわかりません。こんなことを書き込んですみませんでした。
大変長い文章なので、返信が遅れてしまい、申し訳ありません。あなたの文章を読んでみると、お母さん自身が、いわゆる”うつ状態”にあるのだろうと思われます。(ただし、一般に言われている”うつ状態”という意味ですが…)まず、お母さんの考え方は「子供を産まなければよかった。」「自分の育て方が悪かった。」などとマイナス思考が強く、健康な思考パターンではありません。そして、自制できずに、思ったことが口をついて出てしまったり(娘に「あなたを産まなければよかった」などと相手を否定する発言をするなど)、娘にイライラなどの感情をぶつけたりしています。さらに後悔・自責の念が強く続くのは、私の考えでは「統合失調症の思考パターン」(抗精神病薬が効く病態)であり、自制できずに他者に当たってしまうのは「脆弱脳プロセス」(抗てんかん薬が効く病態)であるといえます。したがって、お母さんの言葉に振り回されず、お母さんの言葉をそのまま受け取らず(それがお母さんの本音であるなどと受け取らず)、「お母さんも未治療ながら、病気を抱えていて大変なんだ」という認識をされてはいかがでしょうか。また、あなた自身も大変疲れているようですね。「気力の減退」(すべてが億劫)「夜不眠」「食欲の減退」「めまい」「たちくらみ」「頭痛」「肩こり」「倦怠感」、そして「自責の念」などは、あなたがとても疲れているから生じる諸症状です。周囲の評価を気にしてマイペースでいられず、疲労感が失われ(自分がとても疲れていると認識できなくなり)、そのために慢性的な疲弊状態に陥っているのです。また、かつて仕事中に頭が働かなくなった状態は、疲れ切っていて脳波の乱れが強まったためであると考えられます。情緒不安定も同様のプロセスから生じた状態といっていいと思います。前者は「主体性を失うプロセス」(統合失調症の思考パターンであり、抗精神病薬が効く病態)です。そして、後者は「脆弱脳プロセス」(抗てんかん薬が効く病態)です。ジェイゾロフトなどの抗うつ薬ではなく、エビリファイ(あるいは、ロナセン・ジプレキサなど)のような抗精神病薬の服用で、ぐるぐる考える思考は軽減していくでしょう。また、情緒不安定であれば抗てんかん薬の併用も有効です。(サイコカリュウコツボレイトウという漢方薬も有効な場合があります。)さらには、開き直る思考パターンの練習、人に気を使わない練習などを、薬物治療とともに行っていくと有効です。お答えになったのかどうかわかりませんが、疑問点がありましたら、HPの「統合失調症」「脆弱脳症候群」の部分をお読みください。また、いつでも再度ご質問ください。> おはようございます。> 「うつ病」のことで色々調べていたら、たどりつきました。> 職場ストレスによるうつ状態からうつ病へとなり、> 結果として休職2か月で退職なりました。一時はそれで随分と> 調子よくなっていたのですが、母親に理解してもらえず、> 結果、薬の量は増え、体調不良が続いています。> 「誰でもそんな気持ちや体調はある」> 「ゴロゴロばっかりするな」> そんなことでとてもつらいです。> 主治医に色々と話すると、「お母さんとの> 距離を少しおいてみてください」とのことで> 現在、婚約者と同棲中です。> 最近、自分が打ち込めるものといいますか…> 趣味で気分のいい時にしていたものが> 販売できるようなチャンスをいただけて、> 人とかかわることが怖くてしょうがない状態> なのですが、趣味の好きなことを通して出会える方とは> 不思議と恐怖感を感じることもなく。。。> 少しずつでもできたらいいなと思っていました。> そんな時に私の行動がきっかけで母とより溝が深くなってしまい、母に「子供なんて産まなければよかった」「子供の育て方を私がまちがったんだろう」「もし生まれ変わるなら子供はもういらない」と言われてしまいました。> 父が他界して6年、姉は母との折り合いが悪くコミュニケーションはまったくなし。弟は母の方が気をつかい、母が自分で感情のコントロールをしているようです。色々な状況がかさなり、父が急逝した時、母は肝臓疾患があり、弟は当時高校生だったため、私は家族を支えることを考えて必死でした。母の肝臓疾患は父の生前から患っていたものなので、病気が判明した時から母になり代わり、家事と仕事と両立していて、父の急逝後もその生活は続いていたのですが、母の肝臓疾患の治療もうまくいき、普通の生活を送ることができるようになった時、私は体調の異変が出始めました。> 職場で管理職を任された頃で、板挟みの状態が多く、摩擦が苦しかったです。家族との場合でも何かあれば私に相談やイライラを受け止めることが多く、板挟みや緩衝材のような役割でした。> 徐々にめまいが多くなり、食欲減退などの症状が出始め、> 当時は残業等も多かったことから単なる疲れだろうと> 思っていました。病院でも内科で血圧が低いために、立ち上がるとたちくらみやめまいが起こるということで「昇圧剤」の処方をうけました。まったく改善されず、朝は起き上がるのがつらくなり、疲れているのに眠れない。夜中に目がさめてから眠れない。仕事が気になって早朝出勤をする。> そんな状態が続きました。> 平日は私は仕事メインの生活なので、コミュニケーションを> 取ったり、母の気分転換も兼ねて休日は母とでかけることも> よくありました。当時は電車に乗ると気分が悪くなっていたのですが、母に気を使わせないように我慢し、人混みで目がまわったりもしていましたが、そこもカフェに入るなどし、> かわしていました。> ある時、職場で書類を作成していたのですが、> 1ページから6ページほどの書類をページ順に並べようと> した時、「並べよう」という気持ちはあるのに、> ページ順に並べきれず、パニックになってしまいました。> こわくなり、以前からの内科の主治医に話しはじめて、色々答えるうちに涙がとまらなくなり、苦しくなりました。> 主治医が心療内科も担当していることもあり、> 心療内科へ移ることへなりました。> うつ状態だったのですが、母の理解を得ることが> できず、休日に横たわっていると、> 「こもっていないで外で気分転換しないといけない。出掛けるよ」と言われて外にでることもよくありました。> そういう生活を続けているうちにどんどん気持ちが> ふさぎ込みがちになり、ショッピングが好きだったのに> 服を見ても決められなくて結局買わない。> 髪型もとりあえずまとめる。オシャレをすることが> おっくうになってきました。> そして、体調が悪化し続けドクターストップで休職。> 1か月の休職でしたが、復帰の1週間前くらいになると> 急激に体調が悪くなり、1か月延長。> 結局、復帰前にまた体調が悪くなり、退職。> しばらくして色々振り返ることができた時、> 「疲れた」のひとことでした。> 家族を支えようと必死で仕事も派遣社員だったので> 必要とされる存在であり続けないといけない。> 「なんで私がこんな目にあうんだ」> という感情はなく、とにかく走り続けた9年間> 「疲れた」> それだけでした。> 主治医とともに支えて、ある時にはストップを> かけてくれていた婚約者といる時が本当に素で> いられます。私が落ち込んで立ち止まった時には> 彼も立ち止まってくれ、近くで自分の時間をそっと> 過ごしてくれます。私が趣味のモノづくりに> 専念しだすと、彼は手伝ってくれたり、家事をしてくれたりします。ようやく、生きていることでの価値というか、> 良さを感じることが多くなったのですが、> 昨日、母に家にあるDVDレコーダーの操作のことで呼ばれ、> 2週間ぶりに会った時、> 「お母さんの気持ちはあんたが一番近くにいたのに> 全然わかってなかった」> 「子供は産むもんじゃない」> 「夢で父親が出てきたけど、ひとりぼっちになるよって> いう警告かほれみろって父親も思ってるんだろう」> 「私の育て方がよっぽど悪かった」> 「生まれ変わったら子供はいらない」> と言われ…もう言葉がでませんでした。> やっぱり私が存在していることがいけないのか> 考えることも思うこともつらくなり、> 今すぐここで命をたてばこんなことも> 考えず、思うこともなく、楽になるって思ってしまったんです。私が生まれてこなければ、母は苦しまずにすんだのかと> 思いました。> でも、婚約者と住んでいる家が見えた時、> 自分の生きる価値を見いだすことができた> 彼とこれからもっと一緒に過ごしたい> 自分の作品をいろんなひとに見てもらいたい。> そう思う感情も出てきて> 今、混乱しています。> > そして、今、一日たって思うのは> 私は彼が話を聞いて受け止めてくれる。> 母ははけ口がないし、隣にいるはずの父が> いないからもっと苦しいのかもしれない。。。> そうも思います。> > もう…何が何だかわかりません。> > 昨日、帰宅してから頭痛と肩こり、倦怠感がひどく、> 頓服のソラナックスが手放せません。> 昨日はソラナックスもまったく効果なく、> 処方されていた鎮痛剤もなく、> 睡眠導入剤でなんとか眠ることができました。> > 現在、ジェイゾロフト25ミリを4錠・リフレックスを1錠・頓服でソラナックス・レンドルミンを飲んでいて、> エビリファイも処方されていたのですが、> 食欲が怖く飲めません。> これ以上薬は増やせないと言われました。> 精神科への転院も視野に入っている状態です。> > 先生の病院が近くにあったら> 行きたいです。でも、私は福岡なので> とても遠すぎていけません。> もう、どうしたらいいのかわかりません。> > こんなことを書き込んですみませんでした。
くださったお返事を読み、とても落ち着くのを自分で感じました。少し、自分の中で前に進めるかな?って思っていた矢先…再び精神的な負荷を感じてしまいました。母が言うとおりにすると母は嘆き、言うとおりにしてもツンツンとした雰囲気です。昨日、母が私のいる彼の家まできて、私に思いのたけをぶちまけました。3人姉弟の中で一番信頼しているあんたにお母さんの気持ちをわかってもらえなかった。お母さんはこんな性格だから、ひねくったことしか言えない。思っていることと逆のことを言ってしまう。これだけ一緒にいたから、わかってもらえてると思ってた。あんたには○○(彼の名前)がいる。私にはお父さんはもういない。どこにも行き場がない。こんなことを言われてしまい、自分でもどういう涙かわからない涙が出続けて、母が帰ったあと、彼がなき続けていた私に「何か話しして」といわれても、話そうとすると言葉というか、声が出なくて彼も私も怖かったです。。。その後しばらくすると話すことはできたので、ホッとしたのですが。。。こんなことは有り得るのでしょうか?そして、今日、母のところへ行くようにしていたのですが、体調も気持ちも落ちていたので、「体調悪いから明日行くね」ってメールをしていました。すると、メールで少々やりとりがあった後、最後に「もしあれやったら明日もこなくていいよ」と一言。。。もう…わけがわかりません。このメールのやり取りの時に彼がいてくれたので、なんとか抑えることができたのですが、実際には異常なほどにイライラして、家の中をひっかきまわしたい気持ちでいっぱいでした。しばらくその状態が続いて、今は軽い頭痛と肩こり程度です。今まで育ててきてくれた自分の親だっていうことはわかっているのですが、正直な気持ち、今は放っておいてほしい。そう思っています。母と関わると本当に疲れを感じます。以前は、基本的に毎日、最低でも3日に1回は母と会い実家で話をする・どこかへ出かけるなどのことをしていましたが、徐々にそれがきつくなってきました。休まるはずの気が休まらない状態になってきたのです。そして昨日の「子供の中でも一番信頼していたあんたにわかってもらえてなかった」この言葉がとっても重くて、溺れて息ができないような感覚です。ケンカしてでもぶつかるべきだと彼は言うのですが、今はそのことも気力がなく、もういよいよどう向き合っていいのかわからないです。先生…長い長い文章を書いてしまって申し訳ありません。主治医のところへ行こうかと思ったのですが、正直、冷たいといいますか…話はするのですが、すぐに次回通院日を決めますと言われ、どうすべきかわからず、薬を増やしたりすることしかありません。入院か転院かと言われています。いずれにしても心療内科ではなく、いつでも精神科への紹介状は書くと言われており、病院へ行くことの意味はあるのかと思ってしまっています。本当に本当に申し訳ありません。
前回(No.309)でも説明したとおり、ジェイゾロフトなどの抗うつ薬ではなく、エビリファイ(あるいは、ロナセン・ジプレキサなど)のような抗精神病薬の服用で、ぐるぐる考える思考は軽減していくでしょう。適切な治療薬を服用してみると、私が言っている「他者に気を使わない」「開き直る」「マイペースに生きる」という思考パターン・行動パターンの意味がわかってくるはずです。健康な人は「人が何と言おうと、知ったことではない」という気持ちで生活しています。人は人、自分は自分、です。自分をけなす人がいても、それはその人の考えです。向こうで自分のことをけなし合っている人たちがいても、それはその人たちの考えです。あるいは、自分に期待をかけてくる人がいようと、それはその人の考え・思いであって、自分とは関係ありません。「人が何と言おうと知ったこっちゃない」という考え方が健康な考え方です。すなわち、他者のプラス評価もマイナス評価も、健康な人は気にしません。自分の考え方・生き方を貫き通せますし、マイペースです。健康に生きるためには(心の健康を維持するためには)、周囲の言動に振り回されずマイペースに生きる練習が大事です。それに対して、あなたはお母さんのマイナス評価・プラス評価に振り回されています。(あなたのお母さんについても同じことが言えます。)お母さんはお母さん、彼は彼、自分は自分、という思考パターンが大事ですし、そのような思考パターンを身に着ける練習をするうえで、抗精神病薬による治療は欠かせません。また、あなたもお母さんも、感情のコントロールができなくなっていますが、これは(私が言うところの)脆弱脳症候群です。疲弊し、脳の炎症が生じ、種々の刺激に対して過敏に反応するようになり、感情のコントロールもうまくできなくなっています。これには抗てんかん薬が効きますが、同時に「調子が良い時にも調子に乗らず」「無理をせず」「物事を一気にやろうとせず」「一息つけつつ」という行動パターンを見つける練習が必要です。今あなたは、お母さんとの関係を急いで解決しようとしていますが、お母さん自身が病気であること、長年にわたる鬱積したお母さんの思いがあることなどから、解決を急がないことです。まずはご自分の病気を治しましょう。そのためには、精神科受診もよいでしょう。そして、抗精神病薬や抗てんかん薬(情緒安定薬)による薬物治療も有効でしょう。何よりもお母さんと精神的・物理的に距離を置き(少しさめた気持ちになって)、この事態を切り抜けましょう。> くださったお返事を読み、とても落ち着くのを自分で感じました。少し、自分の中で前に進めるかな?って思っていた矢先…再び精神的な負荷を感じてしまいました。> > 母が言うとおりにすると母は嘆き、言うとおりにしても> ツンツンとした雰囲気です。> 昨日、母が私のいる彼の家まできて、私に思いのたけをぶちまけました。3人姉弟の中で一番信頼しているあんたに> お母さんの気持ちをわかってもらえなかった。> お母さんはこんな性格だから、ひねくったことしか言えない。思っていることと逆のことを言ってしまう。> これだけ一緒にいたから、わかってもらえてると思ってた。> あんたには○○(彼の名前)がいる。私にはお父さんはもういない。どこにも行き場がない。> > こんなことを言われてしまい、自分でもどういう涙かわからない涙が出続けて、母が帰ったあと、彼がなき続けていた私に「何か話しして」といわれても、話そうとすると言葉というか、声が出なくて彼も私も怖かったです。。。> その後しばらくすると話すことはできたので、ホッとしたのですが。。。こんなことは有り得るのでしょうか?> > そして、今日、母のところへ行くようにしていたのですが、> 体調も気持ちも落ちていたので、「体調悪いから明日行くね」ってメールをしていました。> すると、メールで少々やりとりがあった後、最後に> 「もしあれやったら明日もこなくていいよ」と一言。。。> もう…わけがわかりません。> このメールのやり取りの時に彼がいてくれたので、> なんとか抑えることができたのですが、実際には異常なほどに> イライラして、家の中をひっかきまわしたい気持ちで> いっぱいでした。しばらくその状態が続いて、> 今は軽い頭痛と肩こり程度です。> 今まで育ててきてくれた自分の親だっていうことは> わかっているのですが、正直な気持ち、今は放っておいてほしい。そう思っています。母と関わると本当に疲れを感じます。以前は、基本的に毎日、最低でも3日に1回は母と会い> 実家で話をする・どこかへ出かけるなどのことをしていましたが、徐々にそれがきつくなってきました。休まるはずの気が休まらない状態になってきたのです。> そして昨日の「子供の中でも一番信頼していたあんたにわかってもらえてなかった」この言葉がとっても重くて、> 溺れて息ができないような感覚です。> ケンカしてでもぶつかるべきだと彼は言うのですが、> 今はそのことも気力がなく、もういよいよどう向き合っていいのかわからないです。> 先生…長い長い文章を書いてしまって申し訳ありません。> 主治医のところへ行こうかと思ったのですが、> 正直、冷たいといいますか…話はするのですが、すぐに次回通院日を決めますと言われ、どうすべきか> わからず、薬を増やしたりすることしかありません。> 入院か転院かと言われています。いずれにしても> 心療内科ではなく、いつでも精神科への紹介状は書くと> 言われており、病院へ行くことの意味はあるのかと思ってしまっています。本当に本当に申し訳ありません。